あの一匹から14年。
これが初めての一匹だった。
2005年2月琵琶湖・北湖
雑誌社の動画ロケ中の出来ごとだった。
私が初めて動画取材を受けた日でもあった。

たまたま初めてお会いした雑誌社の方にジョインテッドクローの話をしたら、その釣りに興味をもった記者の人が琵琶湖へ飛んで来て動画撮影をいきなりはじめた、そんなトントン拍子の展開だった。
動画撮影するということすら知らないままロケ当日を迎える。
真冬のジョイクロ縛り取材、北湖を走り周りまわった。しかし、そんなに甘くなかった。
ノーバイトのままあっという間に残り時間15分。
初めてこのピンクのジョイクロをキャストすることになる。
最後のひと流し、実績も名前ないサンプルのこのカラーをノリだけでキャストしたと思う。
ノーフィッシュ取材を覚悟していた。
スタート地点のファイブオーシャンマリーナのスロープの脇を流した。
このポイントを選択したと言うより、戻って来た残り時間をここで費やす感じだった。
そのひと流しでチェイスを確認したのを今でも覚えている。
ピンクのジョイクロにいきなりチェイス!?
その当時にピンクのハードルアーに釣れると言う感覚は全くと言ってよいほど持っていなかったため、当日の状況からして、いきなりのそのチェイスがとても印象的だった。
しかし、バイトには至らずほぼタイムアウト状態。
スロープには既にボートを上げる準備でトレーラーが用意されていた。
記者の人に「もう一度、チェイスしたとこだけやらしてください。」とお願いをした。
その最後の最後のキャストで奇跡が起きた。
チェイスがあった場所で、そのバスはピンクのジョインテッドクローをしっかりと咥えたのだっだ。
(だから、画像でスロープに上がった状態での撮影になっている。)

そして、無事取材は成立し雑誌の表紙を飾った。
動画もビデオとなって発売された。

発売されてからのジョインテッドクローでキャッチしている初めての映像だったと思う。

まさか、この一匹が今日のここまで長谷川ピンクとして私の活動に影響するとはこの時思いもしなかった。
私にとっても一生の中で数少ないメモリアルフィッシュである。
後にこのピンクはFLASH POINTガイドサービスのオリジナルカラー長谷川ピンクとして製品化されたのでした。