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アルミボートから6艇のバスボートを乗り継いで

ジーコ話

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私の前ガイド艇Champion210Elite。
(正確には頭にストラトスが付く)

この前に乗っていたのも同じボート。(Champion210Elite)

現在のガイド艇はRangerZ521C。

Championボートはこれまで4艇乗り継いで来た。

私のガイドスタートはアルミボートからだった。

12フィートクラスに10馬力のボートで最北ファイブオーシャンマリーナからスタートすると言うガイドを7年近くはやっていた。

これは、大海原に小舟で大航海にでるようなものだと言う、少し知識のある人であれば誰もが解ることなんです。

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このボートでゲストさんを乗せて動いた最大距離は、大浦ファイブオーシャン→西岸南下→北小松→彦根→東岸北上→尾上→大浦ファイブオーシャンという移動をしたこともある。
(絶対にマネしないでください笑)

通常ここまではめったに動かない、というか状況的に動けない。しかし、日常的にバスボートのアングラーが避けるようなコンディション下で小舟で釣りをし続けていた記憶は明確に残っている。

無謀なように思えるかも知れないが、無謀ではなかった。

天候や風、波の起こりかたなどの予測が出来、小舟なりの移動の仕方を身に付け安全にスタート地点へと戻ってくる自信があったから日常的に出来た。

この小舟での航行経験がバスボートにのった時に大きなゆとりとなった。小舟の走り方でバスボートに乗れば余裕でしかない。

小舟からバスボートになったことで機動力がアップした。バスボートに乗ってすぐさま、移動エリアは琵琶湖全湖へと広がった。

18フィートのバスボートになった時は大浦ファイブオーシャンからスタートとして朝一に大津港で釣り、春の北西激荒れ状態の中、南湖から帰ってきた記憶も残っている。

バスボートでガイドを始めてから、6艇のバスボートを乗り継いできた。どのボートも800~1600時間以上のエンジンアワーの航行の上での乗り継だった。

ガイドピーク時は年間エンジンアワーは400時間越えだった。

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その使用頻度の中で選択してきたガイド艇、当時の経済的な部分とガイド艇としての理想の中で選択しここまで乗り継いだ経験がある。

バスボートを購入しようとしている人の相談にも何度ものったことがある。

気がつけば、普通の人にはなかなかあり得ない経験を積んで来たと思った。

こんな話しでも、琵琶湖でバスボートを走らせる方や、今後バスボートを走らせたいと言う方へ少しでも参考になるお話ができるのであれば私にとっても有意義なことだと思います。

話せばキリがないほど出てくるので、もっと聞きたいと言う声があれば、ひとつ一つテーマを持ってまたブログでも伝えて行きたいと思ってます。

最後まで読んで頂きありがとうございました。

長谷川耕司
この記事を書いた人

サラリーマンで釣行できる日数に不満を持ち会社を辞める。その後一度も就職することなく23年。ずっとブラックバスを追い求めてます。現在はルアーメーカーと琵琶湖ガイドサービス、また釣り具メーカーのプロモーションスタッフなどをしております。

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